2014.8.15「繋がっている事象」vol.191

 

みなさんこんにちわ!
お盆をいかがお過ごしですか?
私は夏ならではの忙しい日々を過ごしております。
本当は神奈川にあるご先祖様と父親のお墓参りに行きたいのですが、やはりなかなか・・・(涙)
お盆というのは一般的に13〜15日を言うのですかね?
私のところへもこの時期になると6年前に他界したこの世でのお父さんが会いに来てくれるんです。
でもいつもだいたい、16日とか、17日頃なんですよね。
忙しいのかな。
お盆って不思議です。
今は私の父親も戻るべきところへ戻ってしまったので、なかなか会えずにいますが、会う時は私が魂だけ抜け出して会いに行ったり、中間点で会えたりしていました。
しかし、お盆の時期は故人が向こうからやって来てくれるんですよね。
お盆って誰が言い始めたのでしょうか?
本当に故人が会いに来てくれる時期。
何か、ゲートが開くんですかね。
それとも「お盆」という日本人の思念が故人を呼び戻すのでしょうか?
不思議です。

ところで今日は私のいる地域で夏祭り(花火大会)の予定でした。
過疎化が進み、観光にも本気で取り組まないこの地域で、年に一度だけのビッグイベントです。
夜店も並ぶし、大阪方面から人もたくさんやってきます。
本当にこの日だけ大勢の人々で賑わうんです。
地元の人達も盆踊りを楽しみにしていたり、帰ってくる子供や孫達と行くのを楽しみにしています。
しかし、先日の台風や大雨の影響で、会場のコンディションが悪く中止になってしまいました。
今日は午後から晴れているし、しかも涼しくて本当に気持ちの良い気候。
地元の方々もさぞかしがっかりされたことだと思います。
私は中止と聞いた時、すごくこれがこの地域の象徴だと強く感じました。
また、これからの暗示でもあるような気もしました。
それはなぜかというと、このお祭り自体も昨年行って、一部の年配者の自己満足と感じたというか、みんなで盛り上げようとか、来て下さるお客さんに少しでも楽しんでもらいたいとか、そういったあたたかい感情が伝わって来ませんでした。
何か殺伐としているというか。
ボランティアでお手伝いしている村興しの寄合会でも先日、排他的な意見を言われまして、私たちにそういった発言をしたから罰があたったとか、そう意味ではなく、根本に“我よし”精神が地域に根付いているからそういう発言が出てくるのだと思うんです。
だからきっと、私達だけにではなく、外に対して皆そういう対応だと思うんですよね。
そのいい例が、先日メルマガにも書きました、「枯葉剤」の件です。
子供達が遊びや合宿などで使う公園やキャンプ場に行政が枯葉剤を撒いているという件です。
これなんか、本当に代表的な事例だと思います。
たぶん都会から来る子供達は、大人も含めてそこに枯葉剤が撒かれているなんて知らないと思います。
地元の人々はそのような場所には近寄らないかもしれません。
もしかしたらその意識さえないかもしれません。
私から見ると、この村の行いや地域の大多数の人々の意識と、今回の年に一度の大イベントの中止ががっちりと繋がっているように見えるんです。
外に対しての愛情の欠落が引き寄せた結果のように感じます。
もしこのような意識状態が続くのであれば、この不安定な会場での夏祭りは今後はやめようという方向、結果を引き寄せるかもしれません。
所詮、町場の予算でやらせてもらっているお祭りです。
私は子供がいません。
子供達は皆平等に愛らしく、大切に思います。
だから我が子への特別な気持ちというのは100%理解していないかもしれません。
でも、その愛情とは別に、隣人や隣人の子供達を思いやる気持ち、愛は絶対に必要です。
人間として。
また、私達人間はその愛を養わなければいけません。
「自分の子さえ良ければいい」ではだめなんです。
その利己的な感情は結果、回り回って、自分や、自分の子に凶器となって返ってきます。
今回の夏祭り中止を見てそんなことを強く感じました。
自分もこれを機にもう一度普段の行いや心持ちを振り返らなくてはいけないななんて考えさせられました。

リャンティ

 

 

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