2013.5.10「世界遺産の富士山」vol.37

 

富士山が世界遺産として登録されることがほぼ確定というニュースを見て、何となく、前回のメルマガ(36号「気になったリーディング」)がこのことだったのではないかという考えが止まりません。
私はこのニュースを見てあまり良い気はしませんでした。
でももうすでに終わっているような気もするんです。
と、それはどういうことかというと、富士山の日本に対する霊力的なものがもう働いていないような。
あとは噴火を待つだけという気が何となくするんです。
私が西日本に移住を決めた時、考えが違う家族を東日本に置いていくことをとても憂慮しましたがそれと同時に富士山に対してもなぜかそのような気持ちになったんです。
東日本を捨てるということは富士山を捨てることに等しいという気持ちが起こり悲しくなったのです。
そして実際西日本に移住して東日本を見てみるとどうしても色褪せて見えるんですね。
東京は古いフィルムを見ているかのようなセピア色に見えると何度か言ったことがあります。
私はせっかちの先走りなのでこのように見えてるのかもしれません。
富士山はもう傍観するしかないような気がしています。
それは琵琶湖にその姿が映って見えるスサノオが富士山を見つめているように。
(私は、富士を見つめるスサノオが琵琶湖に映って見えるんです)
富士の霊力も今の日本人には働かない。
そのような時代になっているような気がします。
5年前、私の父が急死した日、家族で出かけたのが富士山でした。
私はなぜ富士が父をあの世へ連れてってしまったのかと恨んだこともありました。
しかしそれは父に対しての解放であり、またそこからの役目があるのだと教えてもらいました。

「日本への略奪のような行為があり、それに降伏するような形になる。」(前メルマガ)

これが富士山の世界遺産登録の実情であるなら本当に悲しいです。

ところで、打って変わって私のいる地域は色濃く見えます。
そして最近私の飼っている二匹のわんちゃんが色濃く色鮮やかに見えるんです。
この前、あれぇ?毛艶が良くなったのかな?と思い、触ってみたのだけどあまり触り心地は変わらない。
波動が良くなったというか、きっと精気が強く大きくなってきたのかもしれません。
311後薄れていたそれが元に戻ってきたのかも。
とにかくこれは嬉しいことです。
そう考えると、私もこの2年ちょっと、放射能然り、周りとの摩擦、世の汚さに精気を失って色褪せていたかもしれません。
この自然の中で生活しそれが取り戻されていくのがわかります。
ここに来てよく子供の頃の感情を思い出すんです。
子供の頃に好きだったこと、今また同じ感情で生きています。
私はひとりでも多くの人とこの気持を分かち合いたいです。

リャンティ

 

 

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