2013.4.15~精神世界~vol.24

 

先日ツイッターで“悪”について書いていて思い出したことがありました。
ツイッターの内容はこんな感じです。
@___その弱さを悔い改めるチャンスを私を含めて日本人は与えられています。しかしながら“悪”という内なるものとは別の存在があると私は感じています。
その外的悪と内的悪はリンクしますがそれを断つこともできます。

私は高校生の時、選択授業で「倫理」を取っていたのですが、「聖書と論語の比較」という論文を書いたことがあります。
内容はほとんど忘れちゃったのだけど、書き出しをこんな内容にしたのは覚えています。

「小学生の卒業式に校長先生から“克己”と書いた色紙が生徒に配られた。校長先生は壇上でこう話した。
『“克己”これはこっきと読みます。この言葉は私が一番好きな言葉です。この言葉の意味は自分に打ち勝つという意味です。勉強をさぼりたい、怠けたいという悪い自分に勝つんです・・・』
私はものすごい違和感を覚えた。本当の自分は善人なのか?悪い自分をなぜ他者的扱いをするのか?
罪深き己を実感し、精進の気持ちがあるなら、良い自分に負けるという言葉の方がふさわしいのではないだろうか?“悪い自分”を他者的に見ている限り成長しない。」

まあこんな内容だったのですが、今でもこの考えは変わらないんですね。
私の中で精進のまず初めの一歩が、自分の中の悪や弱さの存在を認めるってことなんです。
人は必ずしも例外なく心に悪や弱さ、欲、いわゆる煩悩を抱えています。
311直後からツイッターやブログでずっと訴えかけていたことですが、原発事故も戦争も全てひとりひとりの心から発しているものが顕在化したと言ってきました。
その延長線で私は都会暮らしをやめませんか?と推奨しています。
資本主義社会、競争社会、弱肉強食の獣性社会から脱することが非常に大切です。
逆に言えば、それらの社会思想に準ずる心を持っているからその場所(世界)にいるとも考えられます。
まず自分の悪に気づくことが大事。
煩悩があるから成長というチャンスを与えられてもいます。
内なる煩悩に気がついた時それを手放そうとする努力には苦しみが伴います。
苦しみが伴うからそれ以上の真の幸せや安らぎ、人間としての繁栄がもたらされるのです。
そしてまた、心の悪を手放すことに苦しみを伴わせる社会を故意的に作られているのも事実だと思います。

それを作っているのが外的悪です。
私は外的な悪の存在というものも感じます。
それは、私が神仏や地球外エネルギーの存在を信じるのと同じように、悪魔や餓鬼、畜生などのネガティブな存在も信じているし、感じるんです。
その外的悪は私たちの成長への苦しみから逃げさせようと誘導・助長します。
悪の存在の一番の罪は、他者に何か直接的危害を加えるというよりも、他者の魂を堕落させることが一番の罪だと思っています。
外的な悪は人々の内的な悪にリンクし利用します。
そうして悪という波動を広めます。そして堕落させます。
今までならこの世で生きるということは全てが修行で無駄はなく、全ての存在がカルマで複雑に絡み合い、人生というものを織りなしていたのですが、この時代は少し様子が違うようです。
釈迦入滅後2000年経った今、末法と呼ばれる時代ですが、悪の力が非常に強く感じます。
このままいけば、他の魂がこの世に転生するチャンスさえ奪われるのではないかと思う程です。
もしくは地球で人間が生きていける環境を奪われるのではないかと。
そして今、地球上の多くは、また上層のほとんどがその悪に操られている状況です。

この世にいる魂のほとんどはそれぞれの道で常に上昇しようとしています。
清い魂が苦しみを伴いながら浄化していくのは神という高次の存在に近づくためでもあります。
それは悪にとっても同じ事のようです。
今の世界を見ていると悪は神(邪神)に成り上がろうと努力を惜しみません。
それに関しては目を見張るものがあります。
そしてまだ色のない魂達をどんどん吸収しています。
だから今の世は悪が優勢のように見えます。
悪はその努力を惜しまないのに善神に近づきたい者達はなぜ努力を惜しむのでしょう?

よく、「悪を抱き参らせる」と言う人がいます。
ツイッターなどでもそう私にアドバイスしてくる方もたまにいらっしゃいます。
それが一番の方法であることは重々理解しています。
私が悪の行いに対して否定的に話すのは反面教師でありたいからです。
では神(邪神)になろうと努力を惜しまない存在を神(善神)になる努力を惜しむ者達がどう抱き参らせることができるのでしょう?
ぬくぬくとした悪の座布団に座って悪をどう抱き参らせるのでしょう?
むしろ悪に抱き参らせられているのではないでしょうか?
私は悪の支配層を抱き参らせることができる霊性の高い人物は今はまだ存在していないように思います。
善神への努力を惜しまず精進している者でこそ邪神を抱き参らせることができるのだと思います。

今必要なのはひとりひとりの改心、そしてひとりでも多くの覚醒です。
私の言う覚醒とは真実に感応する意識を持ち、真理への道を歩もうとすることができるという意味です。
悪の成長以上に人々は魂を上昇させ、意識を覚醒させる必要があります。
そして自己の上昇のために非常に大切なこと、ひとつでも多く内なる悪を手放す、そしてそれは外なる悪が内なる悪にリンクさせないためにも有効です。
そのためにまず“気づき”が必要です。
今こそ気づく時なのです。
そうしなければ残念ながらこの人の世、そして地球は地獄、もしくは破滅に向かうと思います。

リャンティ

 

 

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