2013.7.18「京都へ行った 後編」vol.67

 

神泉苑を出た後、東寺へ行く前に、とあるお店に寄りたいと思いつきました。
私はネットで買った西陣織のお財布を使っていてその直営店が京都にあるのです。
住所を調べてナビにセットしました。
車を走らせているとラジオでこんなお話が流れて来ました。

「ずっと京都にいるのに祇園祭に行ったことがないので今日こそは行ってみようと思います!お便りありがとうございます・・・」

祇園祭なの???
そう思いながらお財布屋さんに向かいました。
すると道が混んできました。
人がたくさんいます。
ナビが「30m先右側に目的地があります」
ん?八坂神社の前です。
祇園祭って八坂神社!?
この偶然に驚き車を近くに停めようと脇道に入りました。
車を停車し、祇園祭を調べてみたのです。
すると先ほどまで晴れていた空が雷雨に変わりました。
仕方なく私は車で休憩していたら用事が終わったのでピックアップしてほしいとの連絡が入りました。
また京都駅まで戻り人を乗せ予定より早く用事が終わったのでまた祇園祭を見に戻ったのですが八坂神社はペットとの入園ができず、お財布屋さんも見つからず、先ほどの豪雨は過ぎ去り強烈な日差しが降り注いでいたために祇園を離れ、東寺に向かいました。
すると今度は東寺に着いた途端また雷雨。
まるで見なくて良いと言われているかのよう。
でもせっかく来たのだからと雨が引くのを待ち、入り口まで行ったのですが、なんとなく中には入らず帰路に向かうことにしました。
入り口だけでも素晴らしい歴史的建造物や仏像にお目にかかることができました。

帰ってから神泉苑の不思議さにもう一度詳しく調べてみたのです。
すると、神泉苑のホームページに
「貞観5年には疫病が大いに流行り、神泉苑にて多くの御霊を鎮めるため御霊会が行われた。
全国の国の数、66本の鉾を立てて、神泉苑の池にくりこみ、厄払いをした。
後世には、これが町衆の祭典として、鉾に車を付け、飾りを施して京の都を練り歩く、祇園祭へとなる。」
と、ありました。
これにもすごく偶然を感じ驚きました。
京都は本当に歴史を振り返るには素晴らしい土地であり、楽しめますが、神社仏閣がたくさんありつつも今も昔も日本人の心の拠り所ではないような気がします。
もちろん魂を神仏の道に導く町でもないような気がします。
今回の京都日帰り観光を通して弘法大師のお気持ちを聞きたくなりました。

「お大師様、あなたは東寺のことをどう思っていますか?」

カードでリーディングしてみました。
すると“囚われ人”という結果が出ました。
これは傾倒、問題との同化、貪欲、所有欲などを表します。

「では、お大師様、あなたは高野山(金剛峯寺)のことをどうお思いですか?」

78枚のカードをシャカシャカ切っているとポーンと一枚、ものすごい勢いではじき出されました。そのカードを拾って見ると、また“囚われ人”でした。
気持ちは東寺に対しても高野山に対しても同じようです。
ただ、あのはじかれ方を見ると高野山の方が強くそう思っているのかなと思いました(苦笑)。
高野山に対しては私も実際に行ってみて、あまりの空っぽさにどこにどう手を合わせて良いのかわからなかった程です。
そしてここ奥高野に来てから送られてくるメッセージは高野山の真実です。
私が数年前、密教寺に入りたい(出家)という高次へのお願いに猛烈な反対メッセージが来た意味を今痛感しています。
仏教だけではありません。
宗教全体が腐っています。
京都も高野山も歴史的には素晴らしい観光地です。
ただ、素晴らしい“観光地”なのです。
京都は弘法大師存命の時代から都です。
その都から離れ、山岳修行を行った空海。
そして霊峰にある高野山に登り開創したこと、そのお気持ち、今とても理解しています。
私のメルマガのカテゴリーに、~お大師様のお仕事日記~というものがあります。
それは1年ほど前にお会いし、私に何かを授け、その後私をこの土地へ導いた弘法大師空海から来るメッセージによる働きを綴るものです。
このカテゴリーはまだ一記事しか書いていませんが、メッセージはたくさん来ており、そのメッセージは深く、複雑なのでうまくメルマガで表現できないでいます。
私が今いる場所は弘法大師が山岳修行したといわれる地域でもあり、また、高野山開創前に住んでいた場所でもあります。
それは一般的には明かされないでいます。
そして明かされない理由があるようです。
もしかしたら私がここ奥高野で行う全てのこと、そしてそれをメルマガで常々配信すること自体がお大師様のお仕事日記なのかもしれません。
私がここへ来て感じることは、日本最大の霊能者空海は宗教の堕落も計算に入っていたのかもしれません。
釈尊が末法を予言していたように。また聖徳太子の未来記のように。
私はそれが三種の神器に関係することなのではないかと考えています。
今回の京都の出来事がそれを示唆しているように、なんとなくですが感じるんです。
いずれにせよ、今回の偶然足を運ぶことになった京都日帰り観光がとても神秘に溢れ、意味のあるものになったことがとても嬉しかったです。

リャンティ

 

 

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