2013.6.20「今の私への大きな三段階の出来事3」vol.56

 

本題にいく前に、一週間程前、変な疑似体感というか何でしょうか変な体感がありました。
とてもよく晴れた日で、その日は町に買い出しに行ったのです。
私の住む山間部から町部に出ると温度も気圧もだいぶ違います。
さすが紀伊半島、関東より南だ!という暑さを感じます。
そんな陽の光がさんさんと降り注いだ日、町へ出て車を運転していたら何だか変な音が聞こえてきたんです。
金属音のような。
そしてその音が脳に響くような感触がしました。
何か金属を脳に打ち込まれるような音と感触。
一体あれは何だったのでしょう。
時間が経つにつれて自然となくなりましたが、まるで陽の光が人工的かのような、もしくは体内にある金属、私は311当時東京に住んでいましたので被曝していますからその吸い込んでしまった金属が何かに反応したかのようでした。
初めての体感でした。
なんとなく陽の光と関係しているような気がしました。

今日は5/16メルマガ41号と5/17メルマガ42号の「今の私への大きな三段階の出来事」の続編を書こうと思います。
確か前回はジェット・リーのところで終わりましたよね。

私のカンフーの中国人の師匠は日本では記事になっていないようなジェット・リーのお話を幾度か聞かせてくださいました。
その中で「ジェットは仏門に入ったのだよ」というお話がありました。
その言葉だけがなぜか印象的でした。
しかし当時の私は仏教なんて全く興味がありませんでした。
そして数年の時が経ちました。
私は20代は本当にちゃらんぽらんに生きていました。
わがままでとっても生意気でしたのでまわりには大変迷惑をかけたと思います。
そんな20代が終わろうとしている時、人生で初めてこのままじゃいけないと思ったんです。
私は11歳の時から父親の男手ひとつで育ててもらったのですが家にお金を入れるわけでもなく、かといって貯金があるわけでもない。
本当に先のことを何も考えずに生きていました。
と言っても今でもそうなのですが・・・
そこで気まぐれではなく、少しはちゃんと仕事をしてお父さんに迷惑をかけにないようにしなくてはと考え始めたのです。
しかし急に生活は変えられません。
時期を見て少しづつでも変えていこう、と思った矢先、父が急死したんです。
脳出血でした。
本当に予兆のない急な出来事でした。
私は大変後悔しました。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれませんでした。
これから親孝行しようと思った矢先に。
しかし私には親孝行できなかった悔しみ以上のことがありました。
それは私は父が亡くなる数年前から父が亡くなることが見えていたんです。
しかしそれを私は無視し続けてきたのです。
その映像が時折見えても、縁起の悪いこと、いくら私がお父さんがあまり好きじゃないとはいえこんな映像が頭の中に見えるなんてどうかしてる。と。
私は男手ひとつで育ててくれた父のことをあまり好きではありませんでした。
それは私の親は私が中学生の時に離婚したのですが、その離婚も何年も前から、私の幼い頃、そして何の予兆もなく家族睦まじく過ごしている頃からいずれそうなることが私にはわかっており、子供ながらに子供の言葉で、子供の感情でそれを警告していたのです。
しかしそれを信じてもらえず、また父親が抱えた離婚に至るまでの、そして離婚そのもののストレスを私はぶつけられたからです。
私は少なからず人の心が読めます。
それが理不尽なことではあるけれど父の辛さも感じるし、何年も前からわかっていた私が離婚を止めてあげることができなかったという責任感から私は父には反抗せずにいました。
中学校にあがりたての私は料理も洗濯も掃除もやりました。
しかし父に対しては心に距離を大きく取りました。
だから私はずっと父が死ぬ時は涙を流さないだろうと思っていたのです。
しかしいざ父が亡くなると、辛い思い出なんかどっかに行ってしまい大切に育ててくれた思い出ばかりがこみ上げてくるんですね。
もう私は涙が止まりませんでした。
昔付き合った彼氏に大変な思いをさせられて大泣きして、その時に一生分の涙を流して初めて「涙が枯れる」という経験をしました。
だからもう涙なんかないと思っていたらまだまだ出るんですね、涙って。
私は父がもうすぐ亡くなること、何年か前から見えていたのに親孝行もしなかった。
わかっていたのに何もしてあげれなかったことに人生で初めて後悔で苦しみました。
そしてお通夜の晩、私は父が見えました。
白い着物を着て一生懸命前を向いて行こうとしているのです。
私には目もくれずただただ前に進もうとしていた。
私はそれを見て、人は亡くなってからも忙しいのだ、次に進まなくてはいけないのだと知りました。
お父さんがいなくなってしまったこと、とても悲しいし寂しいけどお父さんもがんばって進もうとしている。
だから私も前に進まなくてはいけない。
翌日の告別式で父は前夜に見えた白い着物の姿をしていました。
私は父の霊が見えたので告別式はあまり涙を流しませんでした。
お父さん子だった姉を支えました。
私はその時心に決めたんです。
私は自分の霊能を受け入れようと。
私は私が見えること、感じること受け入れなければいけないのだと。
子供の頃から霊感が強く、変わり者扱いされ続け、見えるが故に人との距離も掴めず、徐々にそんな自分を隠そうとしていたけどもうそれはやめよう。
私はその個性のままに生きるのだと決めたのです。
これが今の私への大きな三段階の出来事のふたつめです。

人の死はその人の人生を表すことがあると思います。
死そのものという意味でもありますが、人が死に近づくとその人の人生における行いによって人が持つ死という宿命までのある期間に天が因果により褒美か罰を与えると思うんです。
それは天ではなく自らが死へのストーリーを作っているのかもしれません。
いずれにせよ、死を迎えるその様々な感情が死後に対して多大な影響を及ぼすと私は感じますのでそれはとても重要なことなのです。
人は死んだら終生の行いによりえんま様に罰せられると言いますがそれはすでに生のあるうちにあの世に旅立つ一定期間前から始まっているように思います。
父は何があっても二人の娘を守り大事に育ててくれました。
父が亡くなる前1ヶ月間は不思議にも家族三人の総集編とも言える程の時間や思い出が与えられました。
偶然に様々な条件が重なり三人が共にいる時間が今までで一番多かったのです。
それも急にそうなったわけではなく、やはり何年もかけてじわじわとそういう環境が自然と整えられていたのです。
そして最後の日も家族三人と犬達とドライブに楽しく出かけたのです。
父はその帰りに倒れました。そしてそのまま旅立ちました。
私は父の死を通して、人は絶対に人生をおろそかにしてはいけない、自身にとって愛すべき命があるのなら何の理由があろうともそれらを愛し貫くべきだということを学びました。
人の人生において命への愛が第一優先で全うされるべきです。
そして父は私に“無償の愛”を教えてくれました。

もしあなたが命への愛に生きるのならあなたは愛に満ちた最期を迎えることができると思います。
そしてその心情が死後のあなたを大きく高み連れて行く助けとなるでしょう。
今からでも全く遅くはありません。
優先されるべきものが優先されていない方は今から真の人生を歩むべきです。

続く

リャンティ

 

 

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