2013.6.15「六道と東京の街」vol.55

 

前号で地震体感を報告しましたがぴたっと地震が止まっております。
毎回ではないのですが、たまにそう気が向くと配信前にこれを配信してもいいですか?とお上に聞くことがあります。
すぐに返事がほしいのでカードを使ったりしています。
前号ははじめの体感報告はもっと簡潔で短いものでした。
しかし、そのお返事が“地震”と出たのです。
地震?最初何のことかわからなかったのですが、う〜ん、もうちょっと地震のことを書き足した方がいいのかな?なんて思ってあれでも少しボリュームを増やしたのです。
そして再度お伺いしたら“解決”と出ました。
なんだかよくわからないけどボリュームを増やしたことで解決したならそれでいっかと思い配信しました。
しかし地震がぴたっと止まっており、不穏な空気になっています。
ただ落ち着いているならいいのですが、地震の空白期の後に来る地震は大きいことがあります。
私の解釈通り大きめがくるからもうちょっと注意を促しなさい。という意味だったのか、それとも大きい地震はしばらくないから(解決しているから)その文章は要りませんよ。という意味だったのでしょうか?
皆さんはどう思われますか?
私は念のため“注意を足す”を選びました。

今日は東京の街について私の思う勝手な印象をお話ししたいと思います。
まず、東京に限らずなのですが、私は街や高層ビルや住宅街の風景を見るとなんとなく地獄絵図を見ているような気持ちになります。
この世の地獄の象徴というか。
地球はやはり地獄化したのだなと実感するひとつです。
それは昔、私が小さい頃からそのように感じています。
逆に美しい自然風景や広大な大自然を見ると、地球もまだまだ捨てたもんじゃない。と感じます。
何を考えるわけでもなくただそう感じるのです。
とりわけ私の知っている地域で悪い波動を出しているというか、東京で次元(宇宙的観念から)が低いなと感じるのは渋谷新宿銀座です。
学校も仕事もこのあたりが私のフィールドでしたのでよく知っているのですが、これらの街を私はこう考えています。

修羅道新宿
畜生道渋谷
餓鬼道銀座

仏教に触れたことのある方ならなんとなくわかって頂けると思います。

修羅道とは主に争いを表します。
(ウィキから転載)
「修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。」
新宿は都庁もあり、超高層ビルが立ち並んでいます。
基本的に頭を使った争いというイメージなんです。
争いの様はすさまじく見えます。
私の感じる新宿という街はまさにこれです。

そして畜生道とは
(ウィキから転載)
「ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。」
また畜生とは、「苦しみ多くして楽少なく、性質無智にして、ただ食・淫・眠の情のみが強情で、父母兄弟の区別なく互いに残害する人間以外の禽獣虫魚など生類をいう。」
動物のように欲が優先される世界です。
渋谷は小さな盆地です。
気功師の「渋谷はくぼんでおり、気の流れが悪いので悪い気が溜まりやすい。だから悪いことが常に起こるのだ。」という言葉を覚えています。
気の悪さは行けばもちろん感じるし、私は冗談半分でレプタリアンの吹き溜りとツイートしたこともあります。
渋谷にはまさにそのような畜生の子供(予備軍)、もしくはレプが取り入りやすい器(肉体)がいっぱいいるというイメージです。

そして餓鬼道です。
(ウィキから転載)
「餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。」
「俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされている。ただし仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる。」
銀座は昼も夜も本当に美人さんばかりだと私は思います。男性もこぎれいな人が比較的多いですね。
六本木などの繁華街も華やかな女性はたくさんいますが銀座は知性からなる美人さんが多いです。
しかし、私は銀座は餓鬼の街に感じるのです。
お金・見栄・権力などにとにかく貪り着く人達が多い。
ブランドなどの高級店、デパートが立ち並んでいますが、一見華やかにゴージャスに見える街銀座。
裏を返せば人間の汚い欲の象徴、拝金思想から成り立つ街です。
きれいに仕立てて欲を掻き立て人々が貪りつく餓鬼の溜まり場です。
昼はマダムや富裕層、またセレブを夢見る若者達が集まりますね。
日が落ちるとともに一見華やかに見える夜の街へと化します。
日の入りと共に華やかになればなるほど私には餓鬼が集まってくるように見えるんです。
昔私はこう言いました。
銀座の夜は枯れた植木鉢みたいだ。
私は銀座を行くきれいな女性たちがとても枯れて見えます。
その枯れ木にたくさんのお客さんが水を注ぎに来ます。
でも枯れているんです。
その華やかさの裏にとてつもない“枯渇”を私はいつも感じていました。
これが私の銀座に対するイメージです。

仏教の六道とは他に
・天道
・人間道
・地獄道
があります。
私は都会を出て田舎で暮らして実感しています。
自然と共に生きていく場所こそ人間の生きる道、人間道だと。
それを破壊に破壊しまくる人間たちとはやはり地獄・餓鬼・畜生・修羅から転生してきた者達なのだと。
人間は天主が作った世界に住むべきであり、人間が作った世界に住むべきではないと思います。
あなたがもし人間の道を行く人ならば、人間以下の作った世界から今こそ抜け出て天主の作った自然とともに生きるべきなのかもしれません。

リャンティ

 

 

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