2018.5.15 「リャンティマガジンは500号を迎えました!」vol.500

 

皆さまこんばんは!
いかがお過ごしでしょうか?
今号でリャンティマガジンは記念すべき第500号を迎えました!!!
チャンチャカチャーン!
すごいです!500回も記事を書いたのかと思うと・・・感極まります。
ここで改めまして、いつも応援してくださる皆さまに心よりお礼を申し上げます。
ここまでリャンティマガジンを続けてこれましたのも、ひとえに皆様のご支援の賜物と心より感謝いたします。
今号が500号でしたので何を書こうかすごくすごく悩みました。
でですね、今日はずっと書くと言ってきた「死」について書こうと思います。

人間の死。
以前、メルマガに書いた予知的メッセージが現実化して、災害が起こり、被害で亡くなられた方がいらっしゃった時がありました。
後の号で、その災害の被害についてお悔やみの文章を書いた時にお上さんからそこの文は必要ない、削除しなさいと言われたことがありました。
一体なぜだろうとその時は不思議で、少し悲しい気持ちになりましたが、それ以降お上さんが私に送ってくれるメッセージやインスピレーションの中の「死」について注意深く学びました。
今日の内容はもしかしたら皆さま全員が心から理解できるものではないかもしれません。
でもひとつだけ、まず知っていただきたいことがあります。
人の「死」と人の「死に方」は全く別物として考えて頂きたいのです。
そこを混同してしまうときっと全てが理解できなくなると思います。
確かに最後にどう亡くなるかで肉体の死後の魂に及ぼす影響は少なからず違いがあります。
ただ、人間の死というものは=死に方ではないのです。
正直、人の最期というのはその方の今生を含め、前世からの人生を表すことが多々あると私は感じています。
それでは、「人の死」、これは一体どういうものでしょうか?
私はこのように上から聞いており、また自分の経験からもそれを理解しています。
「人間の死は悔やむものではない。喜びである。」
前号にも書きましたが、人間は魂を進化・成長させるためにこの世界に肉体を持って生まれてきます。
余談ですが、私が実体験を通じてこの真理に気づいたのは私が小学生の時でした。
当時、両親のビジネスと不和により、幼い私はとてもとてもストレスを感じていました。
辛く苦しい、本当に幼心に苦悩の日々を過ごしていました。
「なぜ、自分の行いとは関係なくこんなにも辛いことが日々起きるのだろう」と考えたのです。
「この経験を通して私は一体何を得ているのだろう?」そこに答えがあると思いました。
そして、私が得ているものは『成長』だと悟りました。
内面の成長、精神の成長、それは魂の成長であり、学びなのだと。
それ以降、両親の離別後も苦しい日々が何年も続きましたが、少し違った視点からそれらの事象を見ることができるようになりました。
話しが戻りますが、人がこの物質世界に生まれて、様々な貴重な経験をします。
それを終える時は大きな一つの学び、学校の卒業であり、この世界に残っている先生や後輩たちは悲しいけれど今生で先に旅立つ生徒をあたたかく見送るべきなのだと思います。
昔、ウォルトディズニーが生前、自分が亡くなったら悲しまないでパレードをしてほしいと言っていたと何かで聞いたことがあります。
本当にそのようなことを言っていたか真偽不明でうる覚えですが、その言葉がずっと私の中に残っていて、それが宇宙的に正解なのだと今は思います。
人それぞれ死に至るまで経緯がありますし、次元が低く波動が荒い地獄のようなこの地球人類での出来事は負の事象が多いですので、残された人々はそのような概念をすんなり受け入れるのはなかなか難しいと思います。
そして、私たちは近い者なら近いほど、愛する者なら愛するほど悲しみに打ちひしがれてしまいます。
しかし、卒業し旅立つ先輩は、行くべき世界、還るべき世界が待っています。
この現実社会の学校のようにOBになってから現役生徒たちを時折サポートすることもできます。
ですので、学校に残っている生徒や先生たちが、ずっとずっと悲しんで、その悲しみのメッセージを卒業生に送り続けることは得策ではありません。
それは私は実体験を通して理解しています。
私は、父親の死後、夢の中で悔いや悲しみの感情が自分に湧いてくると、父親の霊体のエネルギー(オーラ)がどんよりしてきて、いなくなってしまうということを何度か経験しました。
故人とのコンタクトを妨げるのは“悲しみ”なんです。
物質的な世界の人間には必ず「死」があります。
それは物質的な肉体の死です。
そして、死に方、最期の迎え方もその魂により人それぞれです。
それらを踏まえて、何が一番大切かというと、やはり、『どう生きるか』なんです。
生きるか死ぬか、どう死ぬか、よりも、どう生きるかが一番重要です。
人の死も、死に方も、その後の魂の行方も、その後についてくるものです。
もし人間の死によって悔やまれることがあるとしたら、それは「どう生きたか」や、人生において「周りの人間や事象などとの関り方」に悔いが発生するのであり、物質世界に生きている間の心や行いの問題です。
「死」自体には悔いは存在しません。
それはなぜなら肉体の死は自然の摂理だからです。
ご自分がどう生きたいか、どう生きているか、これを機にもう一度皆さまに深く見つめ直していただけたらと思います。
そして、この大切な今の地球世界の毎日を本気で過ごしてほしいと私は心から願います。
世の中にはそのような、“魂と肉体、そして世界を繋げる覚醒”から目をそらさせようとするノイズがたくさんあります。
そのノイズに触れないようにすることの方が難しいくらいです。
でも一日に一度はその波動の低いノイズから離れ、自己と向き合ってほしいです。
すると奥深い自分が宇宙と繋がっていて、自分を守り導いてくれる存在が高い次元からエネルギーを送ってくれていることを知ります。
そのエネルギーに気づき、繋がり、感謝し、望むことで、この地球学校の日々がもっともっと愛に満ち溢れ、充実した日々になることと思います。
以上です。
今後ともリャンティマガジンをよろしくお願いいたします。
また新たな気持ちでがんばります。
素敵な新月の夜をお過ごしくださいね☆
それではまたお会いしましょう☆彡

with love,
リャンティ
 
 
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