2015.11.12「どうぞ皆さんは優しさを持ってください」vol.302

 

みなさんこんにちわ!
昨夜、ツイッターで心の内を連投しまして、ツイッターをやっていない人は見る機会がないと思いますのでこちらのメルマガに再度書こうと思います。
昨日は高野山の奥の院に久しぶりにお参りに行きました。
今年は開創1200年で週末は人・人・人で大変なことになっているので、平日の比較的何も行事がない時に行くようにしています。
奥の院に行って感謝と祈りを捧げて来たら、なんかこう、色々な感情が沸き起こってきましてね。
高野山は良い所なのであまりネガティブなことは言いたくないのですがあまりにも酷いことを耳にしたり、その周辺地域の私の住んでいる場所も弘法大師のお膝元とは思えないほどの仏心の無さなのでつい思いのたけを連投してしまいました。
まずはこれを再掲しまして、ちょっとしたエピソードを付け加えたいと思います。

@lilryanti
今、母からテレビで和歌山の柿が出てるとの電話。テレビがないからよくわかんないけど、イノシシの被害がすごいって言ってるらしい。こちらに来ればわかる。山はお金のために植えた杉ばっかし、次は高野槙がお金になるからってこぞってみんな植えまくった。そして後を受け継く人がいないので生え放題。

これじゃ山で野生動物は生きていけないのは当たり前だと思う。それで今度は鳥獣被害だと動物を殺しまくり。補助金まで出る始末。なぜこんなにも人間は利己的になれるのか不思議。駆除は番号を書いた動物の死体の写真を撮って役場に見せれば何万と貰える。あとは業者に売ったり、捨てたりしている。

どこまで人間腐れば気が済むのだろう?何が聖地だ、密教だ、世界遺産だ、パワースポットだ?殺生しまくり、自然破壊しまくりで、よくそんなことが言えるのか不思議。ちなみに地元の老人に聞いたけど、高野山の昔の話。高野山には戦後たくさんの犬がいたらしい。

野放しに飼われてて、でもみんながかわいがっていて犬たちと人間は共存していたらしい。でもある時、高野山を観光地として盛り上げるため高野町役場が毒団子を撒いて全て殺したらしい。観光に来る人々が野放しの犬がたくさんいたら寄り付かなくなるからって。高野山以外の集落にいた犬たちも殺された。

こうして今開創1200年のどんちゃん騒ぎをしている高野山がある。罪のない命たちを無惨に殺生した上での。供養したかもしれないけどそんなの意味ねーんだよ!弘法大師は供養や葬式のために密教を学び高野山を開創したんじゃねーんだよ!ま、レベルが低すぎるようなので空海の心は伝わらないでしょう

弘法大師が目の前に現れた時、その魂の強さにまず驚いたけど、なんで本家のお坊さんの所に現れず、こんな私の所に来たのだろうとすごく不思議だった。東京に住んでたし。でも今となってはわかる。宇宙からの弘法大師のメッセージを受け取らまいとしているのは、本家の人々だ。それすらも気づいていない

弘法大師の霊格からすると、修行したり、感覚を研ぎ澄ませば、ご縁があればコンタクトできると思う。でも高野山の人たちはそんなのどうでもいいように見える。お経を唱えても空海は現れない。あ、現れている時あったけどみんな無視してた。見えていない。釈尊の教えを守らないから。

ところで、先日同居人が近所のおっさんともめて大家に入れ知恵したらしく、大家に早く出てってほしいと言われた。出るつもりで家探しをしているからいいのだけど、まだ引越し先が見つからない。それだけなら良かったのだけど、田舎暮らしが向いてないから都会に帰れとか、この地域から出て行けとか、

みんなそう思ってるから出てけとか散々だった。しかも私がまいた種じゃないのに。でもこの村での一番の嫌われ者はその大家であり、また同居人がもめた近所のおっさんでもある。それはどうでもいいけど、私はなんでこの人に住む場所まで指図されなくてはいけないのだと不思議に思った。

大きな目、神的や地球規模で見たら、出ていくべきなのは先住民のあなたたちでしょう。だって、私は土地を我が物顔して所有しないし、命を殺生しない。私は山を荒らさないし、薬もまかない。この地域の神や動物たちはそれを知っている。出て行ってほしいと思われているのはそれを行う人々だと私は思う。

それを言ってあげようかなと思ったけど、弘法大師が慎めと言うので言わないことにした。大人しく出ていこうと思う。というか、行先もなく追い出される可能性すらある。この村に残る弘法大師の伝説でも全く同じことが書かれている。弘法大師はとんちを利かせて意地の汚い地主を言い包めお寺を建てたけど

ここで意地の汚い人々に意地悪されたことは言及せず、ただ通り過ぎていった。だからその後に災いが訪れた。弘法大師は悟りの希望を持たない者に何を言っても無駄なのをわかっていたのだと思う。この地域は過去に大水害があり、何百人も亡くなっている。また家や土地を失い、多くの人が出て行ったらしい

人間はいつになったら気づくのだろうか?魂の成長に時すでに遅しということはないと思うけど、こんなにも負のカルマを背負う必要もないと、私は思う。

おわり。

ツイートしましたように、私は、紀伊半島の昭和の大水害でもろに被害を受けた場所に現在住んでいます。
その頃の資料や話が今はまだ色濃く残っていてよく耳にします。
なぜ自然によるそんなにも大きな浄化作用が起きたのか私にはよくわかります。
それはさておき、昭和大水害ではたくさんの雨による土砂が積み重なって自然のダムができたそうです。
それはそれは、その時の経験話を聞くと本当に凄まじいものがあり、その時代の人(強い)だから生存者がいたのではないかと思うほどです。
雨で目の前の1m先すら見えなかったそうです。
その中で当時女学生だった方はお隣の麻疹で寝込んでいる子供を背負って山を徘徊して逃げたと聞きます。
その方は今も立派な方で私はその方の人生のお話を聞くのがとっても好きです。
この地域は弘法大師が高野山を開創する前に修行していた場所、また、密教の修行場を開くために探索していたと聞きます。
なのでお寺(お堂)がいくつもあります。
弘法大師が建てたとされるとあるお堂には現在残っていれば間違いなく国宝であったであろう大般若経が収められていたようです。
その水害で自然ダムが決壊するかしないかの時、その集落の人たちは集まり話し合ったようです。
とても大切な大般若経、流されてしまう前に高野山に預けるか?
大般若経は村人の心の支えになっていたそうです。
しかし、高野山に持っていけば返してくれないのではないか?そういう意見もありかなり検討を要したようです。
以前にも、弘法大師が彫ったとされる大日如来像を高野山に貸したところ返してもらえなかったという話が残っています。
なので村人たちはとても悩んだのだと思います。
しかし、もうダムも限界に近づきつつある。
最終的に高野山へ持っていくと皆で決めたそうです。
しかし、その決めた直後、ダムが決壊し大般若経はお堂と共に流されてしまったそうです。

また、こんな話も聞いたことがあります。
ある集落では、先に被害に遭った人々が助けを求めに来たそうです。
すでに川が氾濫し、行く先がなくその集落に辿り着いたそうです。
しかし、その集落の人は来る人々を悉く受け入れず、誰一人その人たちに救いの手を差し伸べなかったそうです。
行先のない避難者は仕方なくその集落にある観音堂に皆で身を寄せたそうです。
そしてダムが決壊した時、その集落は跡形もなくほとんど流されてしまいました。
しかし、その観音堂だけは唯一残ったそうです。
この話はこちらの地元の人々の中でもあまり知られていなく受け継がれていません。
その集落の被害記録として観音堂だけ残り、あとはすべて流されたとしか皆知らないのです。
私は心あるご老人からこの話を聞きました。
皆都合の悪い話には耳をふさぎたくなるようです。
今はこの話の伝授者はよそ者の私です。
私たちはこの話を聞き、反面教師として学ばなければいけないと思います。
絶対に忘れるべきではない話です。

自分の人生で蒔いた種は必ず自分で刈り取らなければいけません。
それが今生で達成されなければ、来世に引き継ぎそのカルマを果たさなくてはいけません。
自分の行いは必ず、必ず自分に返ってきます。
そのような宇宙の仕組みが存在するのです。
(何度もこちらで書いていますが)しかしそれらは創造主の愛なんです。
例えば、想像してみてください。
皆静かに乗っている電車や、皆読書に励む静かな図書館があったとします。
そこに親子がやってきて子供が騒いでるとします。
とてもノイジーです。
しかし、親は注意しないどころか、甘やかしてばかりです。
また、親が怒らないので自分が天下と思っているらしく、ほかの子供をいじめています。
その子供は甘やかして育てれているので、子供とは思えないほどの太りようです。
この様子を見たら、それはいけないと皆さん思うでしょう。
何がいけないかって、その子供のためによくないんです。
この子供は社会に出て必ず痛い目にあうことでしょう。
でもその時、耐えることや学ぶことを教えられていないのでこの子はどんな事象も乗り越えることができないでしょう。
きっと人を傷つけるか、自殺するかです。
また、食に関しても制限なく甘やかされて太っているので健康に悪いです。
下手したら20歳までも生きることができないかもしれない。
親は子供への真の愛情があれば、子供はわがままが言えなくても健康のために食のコントロールをするだろうし、その子が社会に出た時、うまくやっていけるように悪いことをした時には叱り、他人に迷惑をかけた時には謝ること、他人を思いやることや精神的な強さや優しさを何かしらの方法で教えるはずです。
この世に存在している因果応報とはまさにこのことです。
私たちの魂を作った創造主の愛による魂成長システムです。

どうぞ皆さんは優しさを忘れないでください。
利他の心、奉仕の心、慈悲の心を持ち続けてください。
人間の利己のために他の命を殺生しないでください。
今後より一層自分の中の愛を育て強く維持してください。
昨日はそんなことを思う、奥の院から帰ってきた午後でした。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいね。

with love
リャンティ

 

ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ
いつもありがとうございます。
リャンティマガジンは皆様のあたたかいご協力により
運営させて頂いております。
ご支援のカンパはこちらによろしくお願い致します。
***投げ銭箱***
また、ショップからでもご寄付頂けるようになりました!
リャンティのお守りショップThanks and Love
今後ともよろしくお願い申し上げます。
ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ

カテゴリー: お大師様のお仕事日記, コラム・日々雑感, スピリチュアル, 精神世界 パーマリンク