2015.5.29「洗脳を解く初歩的な方法」vol.255

 

みなさんこんにちわ!
今日のメルマガは長い記事なので体感などの報告は割愛してすぐに本題に入った記事を一旦書き終えたのですが、地震の注意報を書き加えなさい(たぶん)と上から伝達が来ています。
規模が大きそうです。
こういったお知らせが来る時は数日以内など遠くない時に起きているように思います。
場所は・・・
「学び」と言われていますがどういう意味でしょうか。
私は東京直下を含めた関東及び周辺かなと思っていますが、日本全国でも火山活動が活発になってきていますのでどこに大地震が来てもおかしくありません。
今日は10時前、鹿児島県の口永良部島の新岳で爆発的な噴火が発生したようで、火砕流が海岸まで到達したそうです。
噴煙は火口から約9000mの高さまで上がったそうです。
気象庁は噴火警戒レベルをレベル5に引き上げ、島の住民の避難を呼びかけています。

つい最近まで知らなかったのですが、現在は「死火山」や「休火山」という言葉は使わないそうなんですね。
死火山と認識していた御嶽山が1979年に水蒸気爆発を起こしてから見直されたそうなんです。
そう考えると、火山活動に関して安全そうな関西にしても、本当に日本中どこに何が起きてもおかしくない状況なんだなあと思います。
とりあえず、大きい地震に気をつけてください。

さて、今日はですね、この腐った洗脳システムから少しでも自分の魂を解き放つための私なりの実践方法をご紹介しようと思います!
この世の中が当たり前と思っていませんか?
自分が苦しむのも当たり前、やりたくない仕事をするのも当たり前、人生のほとんどの時間を不本意なことに費やすのも当たり前、日本は特に奴隷のような社会システムです。
でもそれが当たり前になっていて、なかなか宇宙的な価値観というものにたどり着けません。
辿り着くというか、本来私たちが持っている魂の質を何らかの策略により奪われているだけなんです。
だから、私達は現世に生まれた時のことを思い出すだけでいいのです。
もしくは、生まれる前の魂の波動を取り戻せばいいのです。
地球人、特に日本人は何かに固く縛られています。
ならば、その縛る、所謂洗脳のツールからひとつひとつ脱却すればいいのです。
その今すぐできる初歩的な洗脳の解き方を今日はご紹介します。
まず、

1、テレビをつけない。
これは、私が予々書いていることですが、テレビを見ないだけでは不十分なんです。
それは、テレビが発する周波数や音声サブリミナルだけでもかなり強烈だからです。
なのでテレビをつけるのをやめましょう!
すると、自分の人生にたくさんの時間と精神的余裕が溢れ出てくることにお気づきになると思います。
その時間はご自分の好きなことをしたり、リラックスしたり、読書したり、内観をしたりするのがとても良いと思います。
今日、NHKで国会中継をやらないそうです。
放送法では重大な事案の時は放送するように決められているそうです。
戦争への法整備が進められる中、その経過を国民は見ることができないってことになりますね。
ネット放送はあるかもしれません。
私は思いますが、そもそも、国の、国民の命、生活、未来に関する事案を意味のない選挙によって選出された表向きの支配者達の茶番劇をコントロール下にある“テレビ”という媒体を通じてしか国民が知ることができないということ自体間違っていませんか?
それはまさしく作られたシステムです。
国民を上手に操れるように全てが完璧にも整えられているように見えます。
テレビをつけるのは重要なことを映像として見る時のみに抑えるべきです。
今はネットがあるので、テレビはなくてもいいと思います。

2、肉食をやめる。
お肉を食べないと生きていけないとか、栄養が偏るって誰が言い始めたのでしょうか?
肉食という文化は明らかに人間を獣性化し、それをコントールして民衆を奴隷化するための食文化にしか思えません。
上手なやめ方として、赤いお肉からやめていきます。
まずは牛肉。そして豚肉。そして最後に鶏肉。
肉食をやめるだけでこんなにも精神構造が変わるのか!!と驚かれることでしょう。
穀物菜食はあなたの魂と肉体と心から薄暗いペールを一枚一枚剥がしてくれることと思います。
しかし、肉食が合っている霊性の方もいらっしゃいますから、無理にとは言いません。
一番は霊性にあった食事方法をするべきです。
ただ、私のメルマガ読者さんの中には、今までの習慣や洗脳により本来は合わない肉食を継続させている人もいることと思います。
そういう方々はやはりやめるべきです。
初めの内は、習慣から抜け出すということが少し大変かもしれません。
しかし、霊性と現実の歪みは病気となって現れることも多々ありますので注意です。

3、食べ過ぎない。
これは健康のためにもなります。
人間はたくさん食べないと生きれないという洗脳教育を受けていますので、つい必要量より多く摂取してしまいがちです。
経験上、私には西洋の栄養学は適用されません。
人間をコントロールするには、生きるためにたくさん食べなくてはいけないという強迫観念を植え込むのが手っ取り早いのです。
そして「食」に依存させます。
また、「食べる」ということにはもれなく「欲」もついてきますので、これは支配層からすると一番扱いやすく、効果的な洗脳ツールなんです。
国単位で言えば、相手国の農業を潰したり、食糧自給率をコントロールすることは、ある意味戦争より脅威かもしれません。

4、喜怒哀楽の感情をもつ。
喜怒哀楽の感情を持つことを自分に許してください。
どうして怒ってはいけないのですか?
哀しんではいけないのですか?
誰がそんなこと言っているのでしょうか?
スピリチュアル系の人には多く見られる傾向です。
負の感情を持つなと。
では、「怒」や「哀」の感情がどうして負だと思うのですか?
その感情により愛が心に芽生えたり、成長できたらそれでいいじゃないですか?
感情を押し殺すほうが衛生的によくないように思います。
過剰はもちろんだめです。もちろん他人に危害を与えるのもブー×です。
宇宙的価値観によって生ずる怒りや哀しみは次へのステップに繋がる貴重な成長段階です。
家畜はコントロールするのに感情を持ってくれないほうがいいのです。
西洋の薬漬けにする精神医学や、スピリチュアルブーム、あらゆる面から人間の精神を羽交い締めにしているように感じます。

5、自分にとって本当の幸せは何か、問うてみる。
これはかなり厄介で、高度な洗脳解きです。
なぜなら、あなたが幸せと感じていることすら植え込まれたものかもしれないからです。
地球人類は今、人間にとって一番必要で、一番幸せな「愛」から遠ざかるように仕向けられています。
もし、あなたが地獄界や餓鬼道、畜生道から来た魂でなければ、あなたにとって一番大切なのはこの世で様々な経験をして愛を育むことでしょう。
あなたにとって真の幸せ、大切なものとは何ですか?
それを、作られた社会システムによって阻害してはいけません。
「仕方ない」、その気持ちはあなたが拝金主義の獣性社会に完全にコントロールされている証拠です。

今日は初歩的な対処法としてこの5つをあげてみました。
そう考えるとですね、やはり仏教の真の教えというのは洗脳ツールに相反するものであり、その真の教えが残っているのは支配層からするとやぼったいのでしょうね、だから日本では明治時代に廃仏毀釈というムーブメントを起こしたのでしょうね。
日本の家畜化はまさに明治維新によってスタートしたのですから。

私はお上から宗教の門を叩くことを禁じられていますが、基本的には宗教が大好きです。
子供の頃からずっとキリスト教の学校に通っていましたし、仏教にも学ぶし、学生の頃は儒教の本も読んでいました。
もっとも、高校生の時は倫理という授業を選択していましたので様々な思想に触れました。
昔のブログに、仏教の宗派について書いたことがありましたが、当時より今は宗教に対して少し違った印象を持っています。
宗教はこの世を生きる魂の学校のようなものと捉えています。
なので、その成長段階により開祖や教祖も異なるし、集う魂年齢も違います。
そして現在の宗教は民衆コントロールのためにだいぶ捻じ曲げられており、ここでも洗脳のツールとして使われているように思います。
しかし、全てではなく、中には真理であったり、愛のある教師も稀に存在すると思います。
ちなみに現在の学歴社会において、現存する日本の教育システムはまさしく子供の時から洗脳するための大機関、家畜人類養成所だと思っています。

昔のブログ、ここに引用しておきますね。

「仏教宗派にモノ申す」2011.11.14
(前略)
…母は、「あ、○○宗のね。」とか「あそこは○○宗のお寺ね。」などとよく言います。
そう気にするのは母だけではないと思う。
日本や世界中の多くの仏教信者がそういった事を口にしていると思う。
また仏教だけでなく、他の宗教でも。
私も、各宗派の特色や開祖などを知ることがすごく楽しい。
でも分け隔てていない。

だって、私の夢に出てくる仏様は
「はい、わたすが○○宗の仏です。」
とか、
「はい、わたすは○○宗の本尊です。」
とか
言ってるの、聞いたことがない。
むしろ人間達がそう分けていることすら知らないんじゃないかな?
それくらい、全ては穏やかにひとつなのだ!
人はどこかに属すると、自分の属さない組織を自分とは違うものと錯覚してしまう。
その違う組織を賞賛することもあれば、批判することもあると思う。
仏教に関しては絶対に分け隔ててはいけないものだと私は思うんです。

まきを背負って読書をする、かの有名な日本のアイドル、二宮金次郎こと二宮尊徳はこのように言います。

世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。神道、仏教、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、真言宗などいろいろあるが、これらは何れも、いくつもある真理への入り口に付いている小道の名前に過ぎない。例えば富士山に登るのに、吉田から、須走りから、須山から、それぞれ登れるが、最終的に頂上に至れば同じ所である。(二宮翁夜話より)

真に真にこの通りだと思う。
全ての宗教(本物の)が目指す所は一つだと思う。
ある宗教から見れば、富士は日の出づる山かもしれない。
また、ある宗教から見ると富士は日の沈む山かもしれない。
ただそれは同じ山をどの方角から見ているかだけの違い。
ただそれだけのことで富士とはこういう形でこうだ!と争う意味がわからない。
ましてや仏教とは仏の道で、頂上を見る方角も登山口もどの宗派も同じだと私は思う。
では何が違うか、登山チームが違うだけなんだ!
同じコースをどの登山チームのリーダーにくっついて登っていくかだけのことで、雪が降れば皆で合流することもできる。
情報をわかち合いながらベストな方法をとることもできる。
もしくは真言宗という登山チームから頂上までの地図をもらって一人で登ったっていい。
全部のチームから地図や情報をもらって新しいチームを組んでも良い。
ただ道は同じ。
協力し合える環境にいるってことだ。

そして頂上に着いた暁には他の登山口からやってきた人々と労をねぎらい、各登山コースでの写真を見せ合って、素晴らしい事、辛かった事などの経験を語り合う。
そして楽しいことも、もうだめだと思ったこともあったけど諦めずに登り続け、助け合ってここまでこれたという感動をわかちあう。
皆で素晴らしい景色を共有する。
宗教って、宗派って、
そういうものだと私は思う。
これから世界は大変な時代。
厳しい天候に見舞われる。道は険しくなってくる。
せめて、せめて同じ道を歩む同士、手と手を取り合って皆で進んでいこう(終わり)

宗教のミスリードには要注意です。
山頂ではなく樹海のような場所へ故意に導く宗教も存在しているようです。
これからは宗教という枠組みではなく、志が近いもの同士が集い、協力していく必要がありそうですね。

リャンティ

 
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