2015.1.28「不殺生の世界へ」vol.227

 

みなさんこんにちわ!
いかがお過ごしですか?
最近、あれ?今年は暖冬??と思うくらい暖かくなるのが早いような気がします。
それでもまだ寒い日は続くと思いますが、早くも寒さのピークは過ぎたように感じる今日この頃です。

つい先日、こんなことがありました。
うちの近所に90歳近いおじいさんがいます。
息子さんご夫婦と一緒に暮らしていて、地元の、所謂、「山の男」です。畑仕事も猟もします。
でも、優しそうな温和で元気なおじいちゃんです。
もちろんその年齢なので戦争を経験していますし、お話もしてくださったことがあります。
先日私がそのおじいさんのおうちの前を通りがかった時、声をかけてきました。
何かと尋ねると、鹿を獲る檻に犬が間違って引っかかってしまったと。
その犬を知ってるか?ということでした。
案内されて行ってみると、タヌキやアナグマを捕るような小さな仕掛けに白い猫が引っかかっていたのです。
「おじいちゃん、これ猫じゃないですか。」
「そうそう、猫だよ。これどこかの飼ってる猫かな?」
「おじいちゃん、かわいそうだから早く外してあげてください。」
私はお願いすると、外せないというのです。
まず、そう簡単に外せる装置ではないらしいのです。
それでも外そうとするなら引っ掻かれたり、噛まれたりすると。
そして、逃してもどうせまた悪さをするし、村の人達に示しがつかないと。
は!!??
じゃあ、そのためにこんなに小さな動物を殺すのですか!?
おじいさんは、戦争へ行って人を殺さねばならなかったこと、他にもいくつもの動物を殺めてきたことを刻々と話し始めました。
私は心が引き裂かれたかのような痛みが走り、おじいさんに懇願しました。
この猫ちゃんを殺さないでほしい!!と。
私は、よくしてもらっている信仰心の厚い、優しい村の知人にすぐに電話して、その猫ちゃんがどこかで飼われていた猫ではないかと尋ねました。
その後、役場に電話して、ご近所で猫を飼っているおうちの電話番号を聞き、手当たり次第連絡しました。
しかし、その猫ちゃんがどこかの飼い猫であるかどうかはわかりませんでした。
おじいさんの息子さんご夫婦は不在で、もし猫ちゃんを外すとしても一人では外せません。
仕掛けに詳しい息子さんが帰ってこなくては。
しかし、これが飼い猫だとしたら問題です。
おじいさんにそれを強調したら、おじいさんは、じゃあひとまず待って、誰か知っているか当たってみよう。と言ってくれたのでホッとしました。
私は出かけるところだったので、そのおじいさんの言葉を信じて、と、思ったのですが90歳近いおじいさんです。
何をするかわからないので、最後に私は脅しにかかりました。
「おじいちゃん、もしここでおじいちゃんがこの猫ちゃんを殺したら呪われるよ、末代まで祟られるよ。今度おじいちゃんが死んだ時に、あの世でおじいちゃんがえらい苦しむんだよ。でもここで猫ちゃんを助けたら、それはちゃんと恩が返ってくるんだよ。だから絶対に殺さないで。」
そう言っておじいさんを信じて私はその場を離れました。
しかし、その日は一日中気になって、本当は電話でも、寄ってもどうなったか聞けばよかったのですけど、悪い結果だったら聞くのが辛いからただ案じて、祈るだけでした。
大日如来にも、弘法大師にも、宇宙人さんにも祈ってお願いしました。
「あの猫ちゃんが助かりますように。どうぞおじいさんに慈悲の心をお与えください!!」
そう祈りながらも私はショックで、悪い結果が訪れるのではないかと気落ちしていました。
その夜、私は色々なことを考えました。
私はお肉を食べないですけれど、お肉が食べれなくなったのもこんなことからでした。
311があって、私は自転車で仕事場に通うことにしました。
勤務先は品川で、品川には屠殺場があるのです。
建物には塀があるし、声が聞こえるわけでも、何が見えるわけでもありませんが、自転車で毎朝そこの前を通るのが苦しいんです。
私にはお父さんが生前買ってくれたわんちゃんが二匹います。
私はそのわんちゃん達をすごく可愛がっています。
良い飼い主ではないかもしれないけど、わんちゃん達が今生を終える時、「変な人間になんだかいっぱい愛されたな〜。ぼくも次に人間に生まれ変わった時はみんなをいっぱい愛そう!」と思ってもらえるように愛情を注ぎ込んでいます。
しかし屠殺場に運ばれてくる同じ動物たちは人間の愛に触れることなく今世を終わるんです。
なぜ、愛を感じることができるすべての生き物たちが幸せになれないのだろう。
それは人間の子供や、弱い立場の人たちもそうです。
確かに、魂はカルマを抱えてこの世にやってくるから、皆が同じ生き方をするわけではありません。
しかし、今の世の中は酷すぎます。
こんなにも殺戮的になる必要なんかありません。
私は私だけ、私達だけ良ければいいと決して思いません。
なぜかって?わかりません。私はそうインプットされてこの世に生まれてきたのです。
皆が幸せにならなくてはいけないのです!
そう考えると、お肉が食べれなくなりました。
というか、私は子供の頃、お肉が食べれない子供でした。
お魚も好きではありませんでした。
この子は一体何を食べて育っているの?と言われる子でした。
「食事」という行いが苦で苦で仕方ありませんでした。
毎食、赤いコップに入っているお水を飲んで食べないようごまかしていました。
でもこんなにもすくすくと成長したんです。
10代で徐々に食べるようになり、20代では普通に食べれるようになりました。
私は幼い頃、“変わり者”と言われていました。
現代食をできるようになってきて、やっと“普通”と見なされたのです。
しかしその“普通”という超ハードな修行を経て、父親が他界し、そして3年後に311が起こり、段階を踏んで、その“変わり者”に振るい戻されています。
私の本来の霊性らしい生活、行いに戻ってきているのです。
311などを境い目に同じような感覚を持たれている方いらっしゃるのではないでしょうか?

私はその夜、この殺戮的な世の中に嫌気がさしました。
テロというシナリオ、戦争というシナリオ、肉食、すべてのこの弱肉強食世界から本当に逃げたくなりました。
お隣さんも猟師です。幾度と、捕まえた鹿を見てしまったことがあります。
食糧難で食べるためにどうしてもなら百歩譲ってまだわかります。
山の動物たちを捕まえるのは、畑を荒らすから、国からお金がもらえるから、そんな理由です。
そしてその捕らえられ、息を引き取った動物たちは無念にも山に捨てられてしまうのです。
動物たちが畑を荒らすのは、人間たちが山を荒らしたからです。
自然を荒らしたからです。
だから食べ物がなくなり、人里まで降りてくるのです。
人間はなんて利己的なのでしょう!!
一体どこに行けばこの殺生の世の中から離れることができるだろうか。
私はその夜、ここを出て行くことを心に固く決めました。
少しでも殺生のない場所に行きたい。
少しでもいいから弱肉強食の獣性社会からおさらばしたいんです。

私はこの夜に感じた怒りや憤り、悲しさをメルマガにするつもりでした。
ところが翌日、おじいさんがトロリトロリと軽トラを運転してうちに来たのです。
私は猫ちゃんの話を聞くのが辛かったので出るのに躊躇しましたが、窓際で目が合ってしまったのでやむを得ず外に出ました。
すると、おじいさんが、昨日の猫を逃したと!
私の心と目の前は一気に明るくなりました。
「よかった!!おじいちゃんありがとう(涙)」
おじいさんはその夜、私に言われて眠れなかったそうです。
そりゃそーです。私は散々脅し文句を言ったのですから。
でも、おじいさんは私に「ありがとう」とおっしゃいました。
おじいさんは、
「こんなに優しい子は初めて会ったよ。君が殺さないでって言ったから。普通だったら、そんなのやってまえと言われ、棒か何かで叩いてたよ。でもそれをやらずに済んだから。猫は石が転げ落ちるみたいにすごい速さで逃げてったよ」と微笑みながら言いました。
翌日、息子さんと協力して仕掛けから外して逃がしてあげたそうです。
本当に良かった。天に感謝しました。

私はとても学びました。
おじいさんは小さな命を救ったことにより、自分が救われたことを感じたのです。
だから私にありがとうと言った。
私はそのおじいさんの「ありがとう」を天に捧げました。
「諦めてはいけない」
私は天からそう言われた気持ちでした。
やはり魂は成長したいし、愛を感じ、愛に触れ、学び、そして他者に与えたいんです。
それが今、この地球では、人間たちの心眼に目隠しをされている状態です。
私のお役目は高次の存在が私を通して人々の心眼の目隠しを外すこと。
きっとそうではないかなと感じています。
私は幼い頃から変わり者です。
そして大人顔負けに頑固で、自分を曲げません。
そして諦めません。
だからやっぱり諦めずにがんばろうと思います。
私が生活難で心が折れそうになりメルマガをやめようと思った時、お上が「やめてはいけない」、私の発信は永遠だと言われたことがありました。
今となってそれは自信となって伝わってきました。
私の発信の全てが正しいとも思っていません。私も成長段階です。
でも私の発信により何かしら、天意に添った結果が訪れるならば、これからもできるだけのことをしようと思います。

リャンティ

 

 

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